pptpVol.2

ナイロン100℃「東京のSF」をめぐって
最終更新日 : 2002年 11月10日

 

データ :

 

日時:11月10日(日)16:30-
場所:東京芸術大学上野校地第六講義室
パネラー:ケラリーノ・サンドロヴィッチ(劇作家・演出家)、日比野克彦(アーティスト)、長谷部浩(演劇評論家)
主催:PPTP(ポスト・パフォーマンス・プロジェクト)
協力:ナイロン100℃

 

討議 :

 

長谷部浩 PPTPの2回目として、演出家・劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチさんとアーティストの日比野克彦さんを迎えて、今回KERAさんが作・演出した舞台『東京のSF』についてお話ししていこうと思います。まず最初に、おそらく『東京のSF』というタイトルが出てきた背景には、80年代東京の演劇に近未来を設定とした芝居がものすごく多かったということがあるんだろうと思います。日比野さんも当時『ブリキの自発団』の装置を担当したり、俳優として舞台に出演したり、演劇の世界に深く関わっていました。あの頃は、核戦争後の廃墟とか、近未来の、例えばミサイル弾が飛び交っていることを、悲しいとか辛いというより、きれいだと思うような奇妙な感受性がありました。世界の演劇の中で、東京の演劇が完全に突出していた時期であろうと思います。その辺の思い出話からお話いただけたらと思います。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ 僕、当時、日比野さんが美術をやられた作品は観ていました。池袋でやったのとか、スズナリでの『夜の子供』とか。今も結構芝居を観てるほうだと思いますけど、あの頃は、自分が芝居を始めようとしていた頃だし、とりあえず何もわかんなかったから、結構かたっぱしからみてましたよ。やはり肌触りは共通するものがありましたね。たぶん作り手の資質っていうのは、今回、『東京のSF』に出演してもらった渡辺えり子さんのやっていた劇団3○○も、北村想さんも、皆、違う資質を持っているであろうにもかかわらず、なんか共通した未来観があったと思います。近未来っていう設定が多かったですね。それが一番やりやすかったんですかね。鴻上さんなんか、もう何作も続けて、ちょうど80年代いっぱいぐらいは、連作で一本の核戦争後の未来を、壮大なね一本の作品を作っているような、そのために作品を連ねているような見え方をしてました。
日比野克彦 1980年頃って、世紀末って言葉があったじゃないですか。それこそ20世紀の終わり、ああ、あと20年たったら世紀が変わるんだ、これから世紀末に向かっていくんだという、とにかくその数字のマジックがやっぱりあったと思う。あとアポロの月着陸があって、月に人間が行くっていう事件がまずでかいなあと思います。
長谷部 あの頃の近未来物の流行は、フィリップ・K・ディック原作、リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」の強い影響があったんだと思います。ディックだかではなくて、ウィリアム・ギブスンのようなサイバーパンクのようなSF作家の引用がはやった。その影響を受けたという皮相な一面もあるんじゃないでしょうか。
KERA 「ブレードランナー」を観た人間が、作るものの方向を変えていったりするのは、わかる気がしますね。今回63年と80年が出てくるんですけど、80年っていうのはやっぱり捏造された80年なんです。僕、63年生まれなんですが、60年代、69年にアポロが月に到達するまでっていうのは、ほんとに夢みたいなことが、科学がこの先到達するであろう夢としてあったと思います。太平洋戦争以前っていうのは、さらにまた違ったんでしょう。でも、少なくとも60年代っていうのは、いろんなことに夢を持っていたし、あるいは、宇宙人が地球を襲って来るとかいう恐怖みたいなものも、抱いてましたよね。でもそれが、80年以降になると、もう、宇宙人はいないなっていうことになっていたように思うんです。だからSFといっても、フィクションにしろノンフィクションにしろ、科学のテクノロジーの進歩をリアルに、的確に見捉えるようになって、視点がものすごく大人の視点になっていって、その分、ガキンチョ的なおもしろさは無くなっていったのかなって気がするんです。
長谷部 あの頃の社会を考えると、たとえば、東京オリンピックで高速道路ができる、アポロで衛生中継ができる、万博とマルチスクリーンができる、というふうにテクノロジーと国家的イベントが幸福な結婚をしていた時代なんだと思います。
日比野 テレビ塔と民放とかね。テレビ塔はシンボルだけれども、あれ、昭和33年に建ったので、僕と同い年ですよ。
KERA だから生田(萬)さんの作る芝居とかみても、そういう夢をみられた時代から、だんだん夢がみられなくなっていることに対して、常に抗っているっていう感じがします。それから、ある時から、丁寧になった感じがするんですけど、『ブリキの自発団』の『夜の子供』、あの辺までっていうのは、すごく情緒的なセリフがあったと思います。山下千景さんのセリフで、ソ連が、宇宙開発に関してアメリカを凌駕していた時期、「火星に到達した時点で世界は終わった」というようなのが確かあった。ですから、生田さんの中でもそこでいったんノスタルジックな夢は、終わってるんだと思います。
長谷部 ああ、世界がどん詰まりにあるという意識と、科学は進歩をもたらすだけではないというある種の断念があったということですね。日比野さんは、当時、美術を担当した作品では、どういう考えで、割とガキンチョっぽい段ボールのロボットの衣装を作っていたのでしょう。今のたとえばメディアアートとして追求していく方向は、美術の世界ではまだ主流ではなかったですよね。
日比野 僕は、その頃は仕事やり始めた頃で、どっちかっていうとSFっていうより、もっと日常的なテイストのあるもので、まあ今でもそうですけど、やってました。あの頃の生田さんの考えていた高速道路にしろオリンピックにしろ、テレビ塔にしろ、モノクロテレビ、カラーテレビ、アポロにしろ、それは、大人が真剣にやっていることなわけだけども、子どもも120%おもしろいわけ。だから、幼稚園生から大人まで、一緒になって同じ夢を追いかけていて、これは大人の問題だから子どもが入ってくる領分じゃないっていう、そういう境がなかったんじゃないか。だからそんな感じで、あのころの装置のテイストっていうのは、言ってみれば子どもが作ったようなものとして、時代の接点としてはあったんじゃないかと思いますね。次から次へ出てくる新製品のようにね。
KERA 生田さんとは、結構ミーティングをしていたんでしょうか。それとも日比野さんは日比野さんで勝手に作っていたのでしょうか?
日比野:勝手にやってました。生田さんの発注の仕方は、まあ本が変わる変わる。で、今でも生田さんとやるのは、金輪際ごめんだって思ってるんですけど(笑)、小道具からみんな作ってたから、作るる物がどんどん増えてくるわけ。電話一本で、葬式のシーンが増えたと、今度は葬式まんじゅう一個作ってくれって言うんです。で、最初のうちは、はいはい言ってたんだけど、だんだん嫌んなってきて。(笑)別にマジシャンでもないのに、言えばかたちになってくると思ってて、生田さんもうこれ以上やんないからねって感じでした。なんか、いわゆる工作感覚でやってましたね。
長谷部 生田さんの有名な言葉でね、「未来はいつも懐かしい、過去はいつも新しい」っていうフレーズがあったんです。それは、僕ら妙にあのころ納得した、説得されたように思います。生田さんの特質は、近未来を描いて、テクノロジーに特化した夢を描くんじゃなくて、ある過去の記憶と通底していくような、あるノスタルジックなセンチメンタリズムがあった。片桐はいりの割とソリッドな個性、山下千景さんのかわいらしさ、銀粉蝶さんのエキセントリックな声質が、生田さんの作品世界とうまく合っていました。
KERA 僕、正直いって、ストーリーとか全くわかんなかったですもんね。なんか知らないけど、毎回、この人たちとの世界と、世界観をみに、ついつい出かけちゃった。そういう劇団が多かったような気がします。じゃあ、あの芝居どういうストーリーだったのって言われても、わかんない。いろいろ入れ子構造になっいたこともあって、どれがほんとだったかわかんない、それで、今回も入れ子をわざと意識して、作ってみたんです。途中で芝居を切って、ここまでは小説のストーリーだったとか、創作だったとかね。そういうこと全体を、筋を追うより、総体的な面で楽しんでいたような気がしますね。
長谷部 80年代演劇の特徴としては、入れ子=メタシアターもあるでしょうね。そうした枠組みを、先行の世代のように異化効果として使うのではなく、たんなる遊戯感覚で自在に使いこなしていました。
日比野 うん。今回KERAさんの『東京のSF』をみて懐かしかったの、ほんと。「なんか久しぶりにみたなこういうの」と思って。
KERA 今どっちかっていうとウェルメイドな芝居が主流になっているから、思った以上に、こんなタイプの芝居をあんまり観たことのない若い子たちには、新鮮に映って認められたみたいですね。
長谷部 そのころのKERAさんは、まだ演劇を始めてないですね。
KERA 劇団健康を旗揚げしたのは85年ですね。だから、ブリキの自発団で、日比野さんがやられてた頃は、もう始めてたかな。ちょうど始めたばっかだな。
長谷部 当時は、近未来が設定で、複雑な入れ子を作るような芝居は、やるまいみたいな気持ちが働いていたんですか。KERAさんの芝居は、80年代の主流とは、全然違うものですよね。
KERA いやあのね、もっとスマートにはしたいと思っていたな。たしかに。どこの劇団を観てもやぼったくはみえた。で、お笑いってことでいうと、僕、高校のときに、「東京乾電池」と「東京ヴォールドビルショー」が二大お笑い劇団で、80年代半ばには、宮沢(章夫)さんのラジカルガンベリンバシステムと「WAHAHA本舗」だったんですね。で「WAHAHA」の方がとっつきやすい人多いから、友達は多かったんですけど、やっぱかっこいいなと思うのは「ラジカル」でしたからね。自分が演劇をやるにあたっては、笑いをやりつつも、演芸っぽくしすぎないようにしたいなと。でもやっぱりはじめの頃はよくわかんないから、そう思いながらも、まあ明らかに「WAHAHA」みたいなことをやってたりしてましたけどね。だから、なんでしょうね、あの、銀さん、銀粉蝶さんとか、必ず独白があるじゃないですか。生田さんが魂こめて書いた独白が。そういうのを聴いていて、やっぱ今自分が一緒にやろうとしている仲間の俳優には、こんなことはできないなっていうのがまずあった。あの長台詞には、辻褄の合わなさとか、その独白ですべて帳消しにしているところもあったのかもしれないですね。ほんとに苦しい状態で作って、間に合わなかった台本も、最後の長ゼリフがよければ、OKみたいなとこはあったのかもしれない。
長谷部 今の若い世代の演劇人がモデルとしているのは、野田秀樹や鴻上尚史ではなくて、KERAさんだとか松尾スズキのコピーで始めるのだと思います。80年代演劇がアングラ演劇から遠ざかろうとしたようには、80年代演劇は、今の若い世代によって、反抗すべき対象には、ならなかったんじゃないでしょうか。
KERA 招待券もらって若い世代の芝居を、たまにみに行くと、若い世代が、自分たちが昔やったようなことを、下手くそにやってたりすると、自分をみてるみたいで、まあ恥ずかしいですけどね。
日比野 ところでKERAさん、僕、一番最初にKERAさんに会ったのは、ミュージシャンのときだったわけですよ。テレビ番組で僕が司会をやっていて、KERAさんがゲストで来た。「有頂天のKERAです」って。演劇自体はもう高校時代からですよね。あのバンドはいつ作ったんですか?
KERA あれはね、メジャーデビュー4年目ぐらいだったから、82年ぐらいですかね。
日比野 演劇やりつつ?
KERA もともとは高校時代、演劇部で、そのときに後輩に秋山菜津子がいたり、みのすけも一緒でしたね。その頃やってたのは、ばりばりの新劇でした。顧問が、クラブ活動やるために教師やってるみたいな先生だったんですよ。だから、その先生が選んだ別役(実)さんとか、安部公房とか清水邦夫とか、そんなのしかやってなかったです。本読むとすごいおもしろいんだけど、やるとなんかつまんなくなっちゃう。笑えなくなっちゃうんですよ。で、その恨みを、何年かかけて晴らすつもりなんですけどね。(笑)。
まあ、高校時代そんなことやっていて、卒業してから、別に演劇に未練もなんもなくて、映画監督になりたかったんですよ。それで、今村昌平さんの学校に行って、片手間にバンドをはじめました。メンバーがいれば、バンドの方がフットワーク軽くできるし、なんかそっちの方が楽しくなってきて、お客も入るわ、レコード会社の人がちらほら来るわで、いつのまにかそっちの方にいっちゃったっていう感じです。だからバンドで世に出たっていうのがそもそも間違い、間違いっていうか・・・。
長谷部 でも今の若い人からみると、演劇人KERAなんですよね。バンドやっていた頃を知らないんで。
KERA まあ「有頂天」はもう、ね。巻上(公一)さんなんかもそうだけど、「有頂天」ほんとに演劇的な発想でしたよ。だから、一緒に括られていたパンクバンドの連中とかとは、楽屋では全く話が合わなかったですね。言うこと言うこと全然共通する話題が全くなくって。巻上さんなんかと話をすると、巻上さん先輩ですけど、すごい話が合って。やっぱ、70年末期に出てきたニューウェーヴ・テクノの連中って、頭でっかちじゃないですか。すごく頭が先走ってるから、巻上さんたちのほうがなんとなく話が合ったんですよ。
長谷部 その頃は日比野さんも芝居出てたりしましたね。『時代はサーカスの象に乗って』は、80年代の終わりぐらいでしたっけ?
日比野 84年。寺山修司が亡くなって、翌年、萩原朔美さんが演出したやつ。
KERA あ、それ巻上さんも出てた舞台ですよね。
長谷部 そうえいば、万有引力の舞台もありましたね。
ああ、木野花演出グローブ座、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』で、渡辺えり子のタイテーニアと組んで、オベロンをやったこともありましたね。
日比野 渡辺えり子さんとか、それこそ筧(利夫)さんとか、久本(雅美)さんとか出てましたね。
長谷部 今回の『東京のSF』は、三年三ヶ月ぶりのナイロン100℃の全員出演公演なんですが、それこそみんな映像とかで売れちゃって、出演交渉もひっきりなしに来てというところで全員集めて、しかもナンセンスコメディをやる。そう決まったいきさつをお聞きしたいですね。
KERA もう何の話し合いもなくて。ほんとはね、初めてみるお客さんも今回多かったですし、もうちょっと分かり易いものをやればよかったでしょうけど、なんかね。
日比野 ナンセンスコメディっていうかね、後半のやりとりとか、純粋に子どもが持っていることばに近いですよね。例えば、答えいっちゃうなぞなぞがありますよね。実際にそういうのあるもんね。」私の好きなものはなんでしょう」「そんなもんわかんねえよ」とかいうやりとりが、おかしくってしょうがないよね。それは演出でいやらしくもなく、次から次へと展開していくから、子どもが持っているSF世界が出てくるおもしろさがあったと思う。そういうおもしろさって、僕も、日頃たとえばワークショップなんかやってると、結構あるんですよ。この間も例えば、子どもたちが色を選んでいて、何も考えないと黄色とか赤とか選ぶんだけど、一人の子が紫の色を選んだんです。阿部君っていったんだけど、やっぱり紫好きになるにはそれなりの何かあるなと思って、「阿部君なんで紫好きなの? 阿部君いつから好きになったの?」って言ったら、「5年前です」っていう。「5年前から好きなんだあ、じゃあどんなきっかけがあったのって聞いたら、「紫色が上からこう降りてきて」って、それ以上僕何も聞かなかったんだけども、SFっちゃあSFですよね。そういう子どもの頃に持っている、なんて言ったらいいかわからないけど、不可思議性みたいなものが、今回のお芝居には出ていたと思います。
KERA 大人数の芝居だと、コラージュっぽく作ることもできるけど、少人数だと、まずストーリーが大事になってきますよね。最近なんか、広い意味でのウェルメイドな芝居が増えていると思います。ある意味みなさん、ストーリー主体の演劇をされてきているじゃないですか。なんで演劇だけそうなってしまうのか。たとえば、ダンスとか、絵には、ストーリーなんかあんまりないわけですよね。
日比野 ある意味、見た人が自分で組み立てるみたいなものですよね。
KERA そういう楽しみ方を演劇では、もうあんまりする場がなくなっているから、コラージュっぽいもの演出したときに、やっぱり、「でストーリーはどうなの?」みたいな混乱を、少なからず生んでるみたいですよね。
長谷部 80年代は、始まって5分でいきなり大音量でダンスシーンになる、そういう構成でも平気でしたよね。この間、松尾さんが久しぶりに『業音』でやってたけど。話しに関係なく唐突にダンスシーンだからね、今考えると、びっくりしますよね。
KERA それが主流でしたからね。なんかダンスになると、役とは関係なく、どんなに頭の悪い三枚目の役の人でも、みんななんか、いい顔して踊るじゃないですか(笑)あれがちょっと不思議だったな。
長谷部 KERAさんのナイロン100℃は、数ある劇団の中でも、いい俳優を輩出している、非常に珍しいケースだと思うんです。たぶん演出家として、はっきりこうあってほしいというような俳優の演技のイメージがあるのではないか。アングラの第一世代はまがりなりにも、それを理論化して文字にしていったわけですけど、以降、演技理論は出ていませんね。
KERA イメージはありますけど、理論はないですね。だから、平田オリザさんみたいにあちこち地方に持って行って理論を展開してったり、本にまとめたりっていうのはできませんね。今回、渡辺えり子さんに客演してもらいましたが、ぶっちゃけた話、30年ずっと自分のフィールドでやってきた人は、やっぱり稽古でも動きたくてしょうがないわけです。でも僕は、ともかく動かないでほしいと思ったりする。人は、舞台に上がると、なんか特別のことをしなきゃいけない、ともかく走ったり飛んだりしようする。でも、全盛期の夢の遊眠社ぐらいね、みんな走って、ものすごい動いたあと、息切らさずにセリフを一気に言うような訓練ができてればいいですけど、何にもできてない人がむやみやたらに走ったり飛んだりやっても、ね。たぶんセリフが流れちゃうだけなんじゃないかと思います。
必要以上のことしようとするのが、俳優の特徴のひとつとしてありますね。
ENBUゼミって演劇学校で何年か教師をやったんですけど、おもしろいニュアンスで、生き生きとした表情見せてくれる生徒が、はいじゃあやりましょうと手をたたいた瞬間、ものすごくがちがちになってしまう。そんなことは、もう往々にしてあるじゃないですか。そのときにどうやってそれを解いていくかっていうとき、演出家によっては、「ともかく命かけてやれ」とか、いうでしょ。人生のダメ出しから入る。ブロードウェイじゃないんだから、そんなところで結局、削いで削いでやってたって、結局だれも残んないし、残ったところで果たしてそいつがいい役者なのかってのが、あるじゃないですか。だからなんか、まず頭ん中で落ち着いて考えてイメージを作っていった。
なんか不思議なんですよね、客席でみて、おもしろいと思うことが、舞台の上に上がると出来なくなちゃうということは、冷静に、じゃあ君はここでわあーっと動いて走っちゃうのと、ここでだまってぽそりと言うのとどっちがおかしいと思う?どっちがいいと思う?どっちが緊張感が生まれると思う?って言うと答えが出せるわけ。割となんかそういう、まずやってみろということではなく、イメージしてごらんよってところから入るんですよね。
長谷部 なるほど。ただ一方で、KERAさんの芝居は、笑いをとる場面をよくみてると、ことばのギャグじゃなくて、からだを使って笑わせているなとは思いますね。KERA それはでも、いろんなことがわかってきた後の話なんでね。大倉孝二とか新谷(真弓)とかは、最初はもう、邪魔っ気な癖でしかなかったんですよね、変にからだをひねったりとか、新谷とかすごい姿勢悪かったし。もうその癖が邪魔で、「全然芝居が入ってこないよ」って言ってたんですけど、それが、いろんなことが出来るようになった上で、その癖でしかなかったものを、本人が個性に変えていったていうのがあるんです。出来ないことはね、みんないっぱいありますよ。それを、出来ないことを使わずにいかに見せていくかってことに賭けている部分が・・。たとえば、発声にしても悲鳴が出せない役者とかいますし、もう歯並びが悪いのか、舌が短いのかわかんないけど、どうしたって一定以上の滑舌になんないやつとかいるんですよ。でもそれは、弱点を全部わかっているから。何でもそうですが、自分の弱点は使わずに、あるハードルを乗り越えて行くっていう術を、みんな身につけていくのかなと思います。
長谷部 変な癖って最初思えるようなことを、否定しないで肯定してやるってことですか。
KERA いや、一回否定するんですよ。否定してまず、フラットな人間が出来るようになってから、それをまたいくらでも、戻せばいいんじゃないかということなんですね。だって大倉とかナンバになってましたからね。右手と右足、一緒に出てました。大倉は『ウチハソバヤジャナイ』っていう芝居の再演のときに、ナイロン100℃初出演だったんですけど、そのときは、セリフはなくて、ただゲロを吐くだけの役だったんです。そのゲロの吐き方が下手だって言って、すんごい怒鳴っていた記憶あります。それをほんとに泣きそうになりながらやっていましたね。
僕は本番ばっかりで、あまりやらないんですけど、日比野さんは、どのくらいの期間のワークショップやるんですか。
日比野 まあ二日間ぐらいです。もしくは一日。ワークショップは50人、30人いて、全員ここに行きましょうってやり方じゃないじゃないですか。50人なら50通りのばらばらなものを活かしつつ、違う距離を測りつつやっていくっていうのが、一番こうワークショップとして大事なとこだと思います。例えば、今回の最初のシーンでは、ほとんど役者全員が出てきますよね そんなに僕もナイロンの役者を、全員知っているわけじゃないから、こうぱっと見て、「なんかあいつ足引っ張りそうな顔してんな」とか、「ほんと大丈夫かなあ、全員出動で舞台に立っちゃってんだろうな」とか思いながら観ていました。総勢何人出ているんだっけ? 26人? 最後にはその26人のキャラが、全部こう受け止められるわけですよ。大概やっぱり芝居だと、「ああ、あの人やっぱりみんなの足引っ張ったのね」みたいなのがひとりふたり出てくるじゃないですか。今回の場合は、最初は大丈夫かなと思って、のほほんと立っているだけで不安だったのが、その後3時間15分の中でキャラが出てきた。そういうところに、KERAさんが言ったそれぞれの出来ることをやっていくということを感じました。
KERA ワークショップなんか特にそうですよね。その限られた時間の中で何か立派な役者に育てるとかっていうのは、絶対出来ないわけだから、ヒントを与えて、方向を示唆する、そういうことですよね。
長谷部 若干性格が違うのは、演劇の場合、ワークショップっていうのは基本的に俳優になりたい人がくるわけですが、美術系のワークショップの場合は、アーティストになりたい人がくるわけではないですよね。
日比野 そうですね。だから、表現者っていうか何ていうか、いわゆるアウトプットする技を覚えようとか、こういうふうに何か出したいっていうことはあんまり関係なくって、いろんなものを取り入れるときに、とにかく自分から、今までだと拒否していた部分を広げて取り入れていこうよっていう人が集まります。出し方は日常の自分の生活の中で、自分のできること出していけばいいわけだけども、なんかこう見方とか取り入れ方とか物差しのはかり方っていうのに、刺激を与えてっていうとする。美術を専門にやりたいっていう人は、逆にほとんどいないですね。
長谷部 演劇の方もそちらに手をつければいいのになって思う。上演を前提にするとか、あるいは俳優のレヴェルを上げるとかっていうワークショップとかじゃなくって、表現ってなんなのかを問いつめていくワークショップがあってもいいのになと思いますね。
KERA 例えば、長めのワークショップ、演劇だと一ヶ月とか、夏休みを使ってとかそういうのに参加するとしたら、やっぱり最初の何回かは講義みたいな、まず考え方から入りたいみたいなのはあるんです。でも、どうも集まってきた人たちを見ると、ともかく動きたいっていう顔をしてるんですよね。やっぱ違うんですよね、求められてるものって。地方に行ったりするとまた、いろいろ違う要求もあるんでしょうけど。
日比野 演劇を観てる観客ってのは相当、まあ一方的かもしれないけれども、ワークショップに近いような刺激はあると思うんですね。自分でこれをどうやって解釈したらいいんだろうとか。例えばKERAさんのお芝居をみて、どういった繋がりがあって、どう組み立てられていて、彼はいったい何を考えていたのかとか、一方的ではあるけれども、とにかく言葉があり動きがあるそういう二時間の中で、相当考えるという意味では、ひとりワークショップみたいなことをやっているのかなあって思います。美術の場合、まあ絵画に限定して言えば、言葉はないし、それほど具体的に自分の中でひとりワークショップというのが成り立つかどうかわからない。けれども、演劇の場合っていうのは、それなりに自分に問いかけられているものっていうのはあるし、それで同じお芝居を二度三度みて、自分の中でまた解釈しようとしたりすることも、ありえるでしょう。だから役者にならない人でもやっぱりお芝居みながら、当然、相当影響されて、自分の人生の中でこのお芝居を観たから人生変わったなんてもこともあるわけです。そういう意味では、演劇を観る体験っていうのは、案外ワークショップと同じようなところがあるのかなあと思いますけど。
KERA 作り手の意図とは関係ないところで、いろんな影響を及ぼしたりしますからね。よくもわるくも。昔からのお客さんに、「裏切られた」「変わってしまった」と言われたりしまうこともありますよね。
長谷部 そういう人に限って、箸にも棒にもかからない時期をさして「あの時が一番よかった」なんていうんだよね。でも一方でもの作る人には、観客ないしは享受者から同じものを作ることを求められてるなと思うことがあるんじゃないでしょうか。同じ事を繰り返せば、観客は安心して受け止めてくれる。それに対してどう裏切るのかが、新作をつくるときの課題となっているのではないでしょうか。
日比野 期待通りのをみたいけど、裏切られたいっていうのも、もっと強いと思いますね。
KERA でもきっとね、みんなそうだと思うんですけど、実際そうは思ってみても、裏切られると失望する人も多いのかなって気がするんですよね。そもそもどこまでがまた同じもので、どこからが裏切りなのかっていう区別も曖昧ですよね。観客にもいろんな観客がいますし、それぞれ違うのかなって思います。新局面って勝手に言われても、いつも通りなのになって思うときもあるし、今回は今までやらなかったことやったぞって思っても、いつも通りのKERAさんでそたと言われたりしてがっかりしたりとかします。役者だって、かなりリスキーなことやっても、いつも通りのと言われてがっかりしますし。まあだから、寅さんみたいなことでしょうね。寅さんがいきなりなんか違うことやり始めたりしたら、いきなり違う職種についちゃってサラリーマンなっちゃったら寅さんじゃないっていう・・・。
長谷部 やっぱり一番怖いのは、自己模倣ですね。自分で書いていて、長い原稿の一番最後で締めのときに、体力が衰えていると、過去で成功した焼き直しでなんとか逃れようとする欲望が頭をもたげてくる。それと戦うのがきついなあと思うときがあります。
KERA 日比野さんとか、そういうところどうですか? いわゆる定番日比野っていうののがあるでしょう。
日比野 実際の仕事は、個展以外でも、例えば、メディアの仕事にしろ、広告にしろ、商業的な仕事にしろ、必ず企画を向こうが持ち込んできて、プレゼンテーションして、「日比野さんじゃあ今度こういうものを作ってくれませんか」っていうかたちではじまるんです。でも彼の知っている日比野っていうのは、昔の僕のいろんな作品とかです。でも、その人のこと責めるわけにはいかないですよね。だってその人が、今の僕に、これからの僕を予言するわけにいかないわけだから。そういうとき、そこからが勝負で、これはあなたの考えでいいんだけども、私のやりたいことは別にあって、あなたの求めていることを実現するならば、こっちをやった方がおもしろいですよみたいな打ち合わせの時間、いわゆる日比野が日比野をディレクションする時間が、とても大事なんです。その時間を持たずに、持ってこられたとおりにやるのは楽だけども、それだと作業になっちゃうでしょ。僕は、そこは嘘でもいいから、「絶対こっちのほうがおもしろいんだよ」って口八丁手八丁で押し通して、「じゃあそれで行きましょうか」と担当者が言ったら、「はーいやっておきますから」って言って、それから、「さてどうしようかなあ」と。でもその時間が、もう楽しくてしょうがないという感じですね。だから、なるだけ自分で新しいことが出来るようにし向けるのは、自分でしかないと思います。まあたまにね、日比野こういうことやってみないっていうふうに、新しいことをやるのをわかってくれている人たちもいるけど、多くは、やはり過去の日比野のニュアンスを要求していますよね。
長谷部 今、自分をディレクションする時間が大事だって話がでましたけど、やっぱり今作り手ってそういう人間を、自分の中にかかえこまなきゃいけない時代なのかな。それを第三者に求めるっていう考えもあるよね。今ほら日比野さんを理解してくれる人も何人かいてって話しが出たけど、そういう人の存在と自分の中のディレクターと、その辺のバランスはみんなどうやってとっているんだろう。演劇の場合、基本的には制作者が身内のディレクターとしているわけですよね。
KERA やっぱり自分ですねえ。それでうまく行ってれば行っているときほど、自分でちゃんとやんないと自己嫌悪にすごい苛まれるから、ほんとにそういうちょっとした、なまけじゃないですけど、ちょっとした楽の集積が、取り返しのつかないことになりますよね。
日比野 自己嫌悪には簡単になるよね。
長谷部 ちょっと緩みかけたときに、「あっ、このまま行くと絶対失敗する」って悟る瞬間とかないですか。僕はすごくあるよ。「ここで、ああ緩んでいる、このまま流して行くと、あの失敗を繰り返す」と思って、ものすごく怖くなる。
KERA なりますね。なんかそれでもやっぱり、楽しそうな企画だと乗っちゃったりするから、乗ったあと具体的なこと聞いて、あれっちょっと考えていたことと違ったかなとか思っても、でもちゃんとやんなきゃと思います。結果は自分に返ってくるから、正直そういうことが多いですね。取材ひとつでもそうですね。何度も断ってるし、いい人だからと思って、ほんとに寝てなくて、全く頭回転していないときに取材受けて、後で、ゲラとか見て、もう全然だめだと思ったりしますよ。これもう出回っちゃうんだ、これ新聞だよとか、読む人多いよとか。
長谷部 逆に成功の秘訣って何ですか。今はほら、逆にネガティブなことばっかり話してきたわけですけど。こういうときは、うまくいくみたいなことってありますか。
KERA 僕は、楽しいときですね。一生懸命やっていればうまくいくんじゃないかと思いますね。楽しいから、いつの間にか一生懸命やって、うまくいくんじゃないでしょうか。だって、ほんとに演劇も音楽も全く知らなかったですからね。映画も今年撮ったんですけど、僕、映画を知らないんで、知らない人が作る映画を作りましょうってことだったんですが、映画人にはみんなプライドがね、ありますし、スタッフと喧々諤々の毎日で、ひどい目にあいました。でもこれもやっていけば、自然にわかってくることってあると思うんですよ。映画でひどい目に遭って辛かったけど、だからってやめちゃおうかとは思わないんです。次やれば、もっとおもしろいことができそうだと思うんです。そんなことやってるうちに死んじゃうんじゃないかなあという気もしますけどね。でも、「どうすればいいんでしょうていう、好きでこうやってんだけどなんだかうまくいかない」っていう相談の手紙とかたまにもらうんですけどね。でも自分のことを考えると、うまくいってない部分は見ないようにしてるから、あんまり気になってないんですね。
長谷部 このごろやりがいとかいいますよね。で、たぶん、やりがいのあることがしたいと大抵の人が思っていて、それで、やりたいことが見つからないとか、ぶつぶついいはじめる。そういうこと言われると困ってしまって、それには薬ないよねえって思っちゃうですよね。ほんとうにたまにですけど、いいものが書けたときには、それこそ有頂天になって、神様がついてるんだみたいな、妄想に入るときはあります。どんなときそれを感じるかっていうと、これは僕にしか書けないものが書けたんだって思うときだけかもしれません。どんなに上手に書けてていも、他の人も書けるなって思うときは、幸せな錯覚に陥らない。
日比野 やりたいことがみつからないっていうのは、たとえば個人の問題じゃなくって、例えば、ちょっと話し戻せば、世の中が次から次へといろんなことやっていた昭和30年代、そういう時代と今の時代とではやっぱり全然違うよね。やりたいことが見つかるっていうのが、果たしていいことなのかどうかっていうのもあるし、何やろうかなあって思いながら、80年間暮らすっていうのもいいような気がするし。だからそれはまあ、ほんと世代的な考え方で、まあ無理矢理、今生きている人はぜんぶ同世代としちゃえば、そういう昭和30年代40年代の、次から次へと宇宙に行く、いろんなメディアが出てくる時代の中で、昭和の高度経済成長の中でやってきた、少年時代を送ってきた人たちが、大人になって言うのと、今の時代で、高校生、大学生が何やろうかなって言うのとではやっぱり全然違うと思いますね。何やろうかなと思いながら生きてくっていうのも、素敵な人生かもしれないなって思いますね。
長谷部 自分たちの先行の世代が全部がやりつくされてしまったっていう感じなんでしょうか。学園紛争の直後に大学生になった世代には、そんな感慨があったようですけどね。
日比野 それね、きっとどの時代の人も思っていると思うよ。あいつよりか10年、あいつよりか20年早く生まれてればみたいなのは、どの時代でもあるだろうし、どの時代でも、「ほんとになあ今の若いやつは」って言っていた。またそう言う世代がいないと、また困るんでしょうね。逆に言えば、今の大人が、「いやあ若い世代はいいねえ」って思っている方がおかしい。「俺たちの若い時代は違ったんだぞ」っていう上の世代がいて、世の中バランスよくなるんじゃないかな。やっぱりどの時代も、世代間には同じような関係があると思いますね。
長谷部 自分が新しいものを創れる確信は、20代にころKERAさんにはあったのですか。
KERA 無かったですよ。模倣から入りましたからね、完璧に。人まねですよね。だから宮沢章夫さんの呪縛から逃れるのに、10年近くかかったかもしれないですね。何書いてもやっぱり宮沢さんがやったことに、なっちゃっていたんですよ。もっというとモンティ・パイソンがやったことなんです。モンティ・パイソンがやったことを、宮沢さんがライブでやりやすいような形、あるいは日本人の肌に合いやすいようにアレンジしたものを、まねしていたんですよね。僕も松尾スズキもそうだと思うんですけど、ずっと宮沢さんから逃れられないでいて、そこから、解き放たれたなって思ったときには、気がつくと松尾さんのやってることと、僕のやってることが全く違っていた。そんなおもしろさがありましたね。
日比野 KERAさんお芝居の中で、必ず、行ったことのないところはなくって、誰か常に行っているんだというセリフがありますね。
KERA はい。もうすべてのことは人がやり尽くしている、すべての土地はもう人が辿り着いている。
日比野 それはねえ、やっぱり誰もそういう意識はあると思う。だけどね、例えば、むかし僕、それこそ学生のころ、あともうちょっと早く生まれればよかったなって、例えば美術の世界で言えば、横尾忠則のばかやろうって言っていた時代もあるわけです。こいつはもうじじいのくせして、ちょろちょろかっこいいことやりやがって、じじいになったら同じことずっとやってりゃいいんだと、思ってたわけですよ。で、すべてのことはやり尽くされてしまったっていう、考え方もある中で、例えばこの東京がこれだけもう一千万人人口がいて、ビルが建ってアスファルトがひかれているんだけれども、どっか、一ミクロン平方でもいいかもしれないけれども、もう太古の昔から誰も踏んでいない土地がどっかに、一カ所ぐらいはあるだろうっていう考え方を、もってもいいんじゃないかなあと思ったのね。これだけ整備されているんだけども、どっかにはあるだろうっていう考え方ももっていた。踏み尽くされている土地の中に、踏んで踏んで踏んで、もう足跡で埋もれているんだけれども、たまたまなのか、ちょこっとだけ誰もふんでいない土地が無いとは言い切れないわけです。
長谷部 仮にもしそれがないとしても、あると信じる力が必要なのかもしれませんね。
日比野 考え方なんだよね。ピストルをパンと打つ、お客さんが逃げる、絶対当たらない、死なないっていう考え方があるのね。それを説明されて、なるほどなって思ったんだけれども、僕が打つじゃない、でKERAさんが逃げて、弾が後頭部にまで行く時間がある、その時間にKERAさんはちょっと逃げられる、でちょっとまた距離ができるから、弾が届くまでのちょっと時間ができる、するとまたちょっと逃げられる、それがずっと続くから、弾は当たらない、だから死なないんだという考え方。打たれたら死んじゃうんだよねって諦めるんじゃない考え方もあるわけです。
長谷部 今回の芝居で言うと、大倉さんの役は、原稿用紙に小説を書いて行くと、それがどんどん現実の未来になっていく設定でした。それって、一番最初に新しいことは何もないって言っているにもかかわらず、それにもかかわらず新しいものを創造していくとこになっている。少なくともフィクションのなかには、未踏の大地があるという考え方で、なかなかおもしろい構造もっているなあって思いました。
KERA いやもうなんか、結局、自分が芝居で言っていることは、例えば、人生は悲惨だっていう一方で、人生は素晴らしいっていう、なんか常に二つのことなんですよね。だからハッピーエンドなのかアンハッピーエンドなのか、わからない芝居が多いんだと思います。だけど、一つの正解があるわけじゃなくて、見方次第なのか。芝居のなかでは、すごく矛盾したことがいっぱい起こっていますよね。どれがほんとかもわからなくしてあるし。
長谷部 笑いに話しを戻して行きたいと思いますが、最初、「ラジカル」の笑いみたいなところから、始まったとおっしゃったんですけが、やっぱり、当時80年代は、「笑いなくして何の演劇か」みたいなところがありました。今は、別に笑いが無くても成立する、そういう芝居もあると公認されている。でも一方で、笑いを全く消しちゃったら、どんどんお客が減っていくのも確かだろうと思います。
KERA そうそう、制作は、ドシリアスなのはやめましょうって言ってますね。カフカズディックとかは実際、カフカっていうモチーフ自体が、客を呼ばないもので、あんまり入らなかったですね。笑いは必要不可欠っていう風潮は、今もありますよね。ただね、80年代の笑いと比べると、相当変わってきてるんじゃないかな。別に演劇が貢献したわけじゃないくて、どっちかっていうと漫画とか、テレビのダウンタウンの影響で。当時の演劇の例えば「第三舞台」の笑いはやっぱり、程度低かったと思うんですよ。なんか大学生みたいな。だからやっぱり、モンティ・パイソンとかに慣れていると、これでいいのかって思いましたよね。で、鴻上さんと対談して、険悪になったりとかしましたから(笑)こと笑いに話が及ぶと険悪になって、別の話にしましょうって。
長谷部 劇団☆新感線のいのうえひでのりの笑いはベタなんだけど、あれはあれで定番のおもしろさがあると、よく思います。実際、笑いますしね。
KERA やっぱりベタなものは、古典ですから、もう演じ方ひとつなんですよね。ベタなものほど、うまく演じないと笑えないでしょ。だから劇団☆新感線の人たちって、そこ鍛えられてますよね。うちの人間だと恥ずかしくて出来ないようなこととか、思い切ってやるから、やっぱ、ズッコケひとつでもかっこいい。そういった演じ方とはまた別のところで、笑いの発想が成熟してきてるなっていうことは感じますね。成熟っていうか、この先もう行きようがないなっていう、どん詰まり感も感じますけどね。つまりもう、ナンセンスギャグが、ナンセンスすぎて、一回転しちゃってるんです。今回、僕、小説家が締め切りに書けなくて、自分の原稿の代わりに夏目漱石の『坊ちゃん』を渡して、「『坊っちゃん』渡されてもねえ」っていう話しになり、でもこのカバーをとると?やっぱり『坊ちゃん』。「そりゃそうなんだよ『坊ちゃん』のカバーをとると『坊ちゃん』なんだ」っていうやりとりがあるんですけど、10年前だったら、カバーとると別の中身なわけですよ。それで、それもらってきてもしょうがないだろっていう展開になるじゃないですか。、カバーを取ると『我が輩は猫である』、同じだよみたいなことになると、もう一回つっこめるわでですよね。でも、そうじゃないことにしたいなって思うわけです。10年前にもやっぱり、そうじゃないことにしたいとは思ってたけど、でもお客はついてこないなみたいなのがあった。でも今なら、『坊ちゃん』のカバーをとって、あ、『坊ちゃん』だ、普通そうなんだっていう展開で、それで笑いを呼べるなって思う。お客もついてくるようになってるんですよね。それ、ある意味、一回転してるっていうか、『坊ちゃん』のカバーとって『坊ちゃん』なのは、普通じゃないですか。それをわざわざ笑いにして笑ってもらえるっていう環境は、10年前より観客の頭が笑いに対して肥えてるんじゃないかなと思いますね。でも、それ行き過ぎると、もうほんとになんだかわかんなくなってきちゃいますからね。ここに椅子があるだけで、おかしくなってきたりとかしますから(笑)
長谷部 ここで笑えっていうシチュエーションと空気感を作って、俳優たちが笑ってもいいんですよという演技をしたら、笑わざるを得ないようなところへ持って行っているんですね。
KERA それもあるし、役者も笑いに持って行くのがうまくなってますよね。昔よりも。昔、俳優は、もっと強引さしか持ってなかったような感じだったから。声はでかかったしね、演劇の人は。筧さんとか、「おれはなんとかじゃないんだぞぉーっ」とかね(笑)今、その言い方じゃリアリティないだろうみたいな演技ですが、結構、お客は笑ってましたよね。今ちょっとある意味厳しい、クールですよ、お客さん。入れないとずっと入ってきてくれないし。
長谷部 そういう意味では、本当にはじけるような笑いって、少なくなって来てるのかもしれないですね。爆発させる笑いは、むしろ作りづらくなってるんでしょうか。
KERA 作りづらくなっていますね。例えばコメディ映画の笑いならば、くすくす、にやにやで終始しても、それはおもしろかったってことになるじゃないですか。でも演劇では、くすくすで終わっちゃうと、なんか今回あんまり笑えなかったねっていう結論になっちゃうんですよね。演劇は、ライブだからでしょうけど、お客もほんとに声に出して笑えないと、それはコメディとしては失敗作になってしまうっていうのがあります。
日比野 でも一同大爆笑っていうのはなくっても、いいんじゃない? 昨日も僕、観ていて、こっちに男の人がいて、こっちに女性がいて、ぜんぜん笑うところが違うわけですよ。僕も違うし。そうすると、こっちみて何に笑っているのか気になってくる。しばらくすると、だいたいね、ああこの言い回しが好きなんだとか、このアクションがおもしろいんだとかわかってきて、そうするとやっぱり、笑うポイントがある。違うとこに目つけてたりとかするわけですよ。だから、みんな一度に大爆笑ってことはあんまりないですよね。それはそれで僕、みる人によっておもしろいところがいっぱいあって、それはそれで大爆笑がない方が逆にいいのかなって思いますね。ドリルでがんがぁーんってところが一同大爆笑に近かったけれども。(笑)
KERA なんか一同大爆笑っていうことを目的に作っていくと、マニアックなとこがどんどん減ってって、最大公約数的な笑いになっていきますよね。
長谷部 三谷幸喜さんの舞台のようになっていくことになりますね。
KERA 感情移入から入っていくから、シチュエーションコメディには最大公約数的な笑いが多いです。みんなが、あ、かわいそうだなって思ったり、あ、一幕では駄目だったこの人が二幕でうまくいった。はい、笑いというような作り方ですね。それにおかしいっていう以前に、みんなよかったなって気持ちが会場が充満するから、その上で笑いが爆発する。今回みたいな芝居は難しいですね、なかなかね。なかには、ちっとも笑えなかったっていう人もいますからね。でも、それはわかるんだなあ。そういう人もいて当たり前だと思う。
長谷部 難しいねえ、笑いは。
KERA 難しいんですよ。だからみんな逃げちゃうんですよね。
長谷部 逃げちゃうのね、最後シリアスな方へ変わっていくのね。
KERA そうそう。宮沢さんなんかなあ、笑いやってほしいんだけどな。まあ、逃げてるなんていうと怒られちゃいますけど。
やっぱり体力が、なかなかついていかないんじゃないですかね。でもうちの役者とかここまでやっているってことは、50歳、60歳になっても、相当いつまでもやっていそうな気はしますけどね、だって20代最後の芝居が、モンティ・パイソンのコント集で10年前でした。今やってるのが30代最後の芝居なんですけど、ほとんど進歩ないっていうか、同じことやってるんですよね。この分だと40代最後の芝居も似たようなことやってるんじゃないかなって気がします。でもやっぱりこういうくだらないことって、年取れば取るほど、おもしろいじゃないですか。シティボーイズもそうですけど、もう白髪混じりのいい年のじいさんが、愚にもつかないことやっているっていうの、かっこいいと思うし。それはそれでやっていきたいですね。もちろん、それだけでやっていけるとも思えないんですけど。
長谷部 今回の舞台は、八十年代演劇とは、また違う終末観が出ているような気がするんですよ。世紀末を乗り越えてからの僕らの終末観っていうのがどんな風に変わっていくんだろうと、問いかけられているように思いました。
KERA いや、あるんじゃないですかねえ。終末観っていうか、やばいよやばいよとかみんな言っています。周りの若者は。危機感はあるんじゃないですかねえ。だから、政治に関心がありますよね、今の若い人は。僕らのときはそんなことに関心無かったけど、今喫茶店で普通に、「北朝鮮がさあ」とか「アメリカは自由を謳ってるけど」って普通に金髪でピアスしたお兄ちゃんとかが言ってるわけですよ。僕らの頃よりは、政治がもっとリアルなんじゃないでしょうかね。どこの国の政策がこうだとか、そういうところまでつきつめて、みんなが具体的に考え始めているんじゃないかって気がしますね。だから、世界大戦以前のSFっていうのは、地球滅亡の原因は、全部天変地異なんですよ。今の世界は、急に第三次世界大戦が、どんどんリアルになっている。いよいよかもしれないっていうのがあるのかな。
それは、戦争とかだけじゃないかもしれませんね。携帯電話とかも、昔は夢みたいなものでしたよね。夢として抱いているときは、それが実現したとき、すごく幸せになると思ったんだけど、いざ実現されてみると、ただ実用化されて普遍化されてくだけ、生活に取り入れられて終わってく。昔はね、そんな外に持ち歩ける電話なんてあったら、どんなに便利で、そんな便利なものがあったらすごく毎日が幸せだなって思ったけど、今、そんな携帯電話があって幸せだって思ってる人はいないでしょ。普通でしょ。
携帯と同じで、戦争とかもすごくリアルに、じゃあどうしたらいいのかって僕らが高校生中学生のときよりは、真剣に若い人たち取り込んでいる気がして、そういう気分が舞台の表現にも反映していくんじゃないかな。意識的が無意識的かはわかんないけど、反映せざるをえないでしょ・
あれだけ、興味をもって戦争のことを考えてたら、僕だって全然、反戦の演劇を作ってるつもりはなくても、やっぱり出てくるし、松尾さんだって出てきていますもんね、明らかに。あんまり若者と腹を割って話したりとかないけどさ、作っているものをみる機会っての結構あるから、逆算してわかってきますね。透けてみえてくるのかな。舞台をみてると何となく考えてるはわかりますよね。ワークショップだとどうですか?
日比野 ワークショップに参加する人たちって、目的もってくるからね。きっと、その世紀末に考えていた終末観っていうのは、すごく大きな時間の流れの船の上に乗っかって、いつか太陽も、そして地球も、船ごと向こうの滝に落ちちゃう感じだったんじゃないかな。今はまあ時間は永遠にあるだろうけど、それよりも、自分の限られた人生の中をどうやってこう暇を埋めて行こうかっていう、そういう恐怖感っていうかな、無駄な時間はなるだけ過ごしたくない、ぼーっとするのは何か怖い、誰かとつながっていたい、別に友だちじゃなくても、知らない人でも別にいいんだけど、っていう怖れがあるんだと思います。開拓者のような恐怖感ではなく、時間をどうやってつぶしていったらいいんだろうか、繋げていったらいいんだろうかっていうところで悩んでいる。何か、ひとつ山超しちゃって、悩みの種類が違うような気がしますね。
長谷部 死に対するリアリティの捉え方みたいなものが、もっと切迫した、こう肌触りとして捉えられるようになっていて、それが例えば演劇の中にも染み込んでいる。演劇だけじゃなくて美術もはもっと直接的だな思うときありますね。逆に言えば、その切迫感がないと、観客の方があるリアリティをもてないというのかな。そこを全くぬぐって、たとえば笑いだけで迫る芝居とか、あるいはシチュエーションで笑わせる芝居とかあっても、それは何か、空々しくて、薄ら寒いものになってしまう時代なんでしょう。
KERA 僕の芝居よりも松尾さんの芝居観ていると、大人計画がものすごく受け入れられていることが、やっぱり時代を感じる気がするんですよ。昔だったら、確かに笑えるんだけど、なにもヘヴィーなシチュエーションを下地に敷いて、笑う必要もないんじゃないか、せっかく劇場来てるんだからって感じでした。それが、今はすごくリアルに感じられてるんじゃないかな。一方では劇団☆新感線みたいに無邪気な笑いを楽しもうっていう観客もいるんですけどね。下ネタなんかもそうですよね、ごく普通に女の子が笑う。昔はおかしいなと心の中では思っていても、絶対恥ずかしくて笑わなかったはずの人たちが、みんな平気で笑うし、いろんなことが変わってきてるなと思いますね。
日比野 下ネタで笑えない方が恥ずかしいという時代ですね。マジに受けとるんじゃねえよみたいな。笑いとばせそれぐらいっていう。
KERA 東京ウォーカーとかああいう情報誌とかで、今普通にラブホ特集やってるじゃないですか。僕らの頃ラブホテルって、ちょっと行っちゃいけないところっていうか、隠れて行くとこだったじゃないですか。そんな一般誌で特集されてもねっていう。残酷ネタでもそうですよ。近親相姦ももちろん描き方ひとつなんですけども、タブーとされるものがすべて排除ではなくなってきてますね。みんなの生活の中にそれはあるんだ、生きてく上でそれはあるんだということを、みんな見ようとしてるというのがあって、それはいいことじゃないかと思うんですよね。まあだから、そう考えると、80年代の演劇の方がはるかに無邪気だったという気がします。
長谷部 テーマは深刻そのものでしたけどね。
KERA で、何かほんとにシリアスにそういうものを受け止めている舞台も当時あったんでしょうけど、それはアングラなり新劇なりで、エンターテイメントとは離れたところにあった。今はエンターテイメントしながら、タブーを描いていることが割と普通になっていますよね。だから僕らはやりやすいですよね。やりやす過ぎてちょっと気持ち悪いという感じです。

記録作成:鶴町典子(東京芸術大学大学院先端芸術表現専攻)

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